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2008年11月28日 (金)

ここは、

 ”うちの治療院薪ストーブ計画”をねっていたのだが、もろもろの事情でみあわせていた。冬場は床暖房なのでぬくぬくとあったかいんだけど、なにかひとつ足りないなぁ~と考えていたところ、「あっそういえばこのテーブル”おかろ”じゃね~か!」ということを思い出した。灯台下暗しとはこのこと、そうなればすぐ行動ということで、テーブルの蓋を外し、銅版の容器の中に川砂を入れ、蔵の中にしまってあるおばあちゃんが使っていた”おかろ”から灰をうつし、炭に火を入れた。

 「いいねぇ~・・いいじゃんこれ~・・ぬくいよこれ・・」 そして南部鉄器の鉄瓶で湯を沸かす。水は裏の酒造会社の中で湧いている水をいつもつかっているのでお茶がさらにうまいだろう、火を見てるだけで落ち着くのはなんででしょうね、子供たちもそばによってきてトランプをはじめています。炭の焼ける音はまるでガラスのようで、鉄瓶がチンチンと音をたてて湯を沸かしだした。息子の蓮太郎はおやつのおにぎりを持ってきて火のそばであっためてます。カミさんは、「これは~ビール飲みながらするめ焼こうよ、おもちもいいね~焼き鳥もいいんじゃない?」と言っている。なんだか楽しみがまた増えた。

 でも、わすれちゃいけない・・・ここは治療院だっちゅうの。

 

 

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2008年11月27日 (木)

笑い、

 ”笑える”ということにとても幸福を感じる今日この頃です。笑うということも呼吸をすることもあたりまえのこととしてさほど意識する人がいないかもしれませんが、この神様からいただいたものおおいに使うべきでしょう、笑えるのはあたりまえの機能ではなく、楽しいと感じるから、その一瞬に幸福を感じるから笑えるんじゃないでしょうか。

 うちの子たちは最近、”ドリフの8時だよ全員集合!”にはまりっぱなしです。今テレビでやってるお笑いものよりもおもしろいらしく、時々DVDを借りてきてはあきずにテレビの前に正座しながら笑い転げている。小学1年生の息子にとってはすでにドリフが神格化されてしまい、数十年前僕が幼稚園児の頃ドリフがうちの町にやってきて僕が花束贈呈したんだということを話すと、目をまんまるにして「パパすっげ~」と、びっくりしていた。でも昔は「そんなのばっかりみてるとバカになるぞ!」と、教育者である親におこられた様な気がしたが、おかげさんでドリフのギャグに育てられた僕はそれなりに育ちました。僕のドリフ教育も間違ってないと確信します。

 子供たちが笑う姿は何よりもかえがたく、素晴らしいと思う、それがドリフに笑わせられていようと、その真似をして「ワァオ~いっちょめいっちょめ~ワァ~オ!」とみんなを笑わせる息子を見て人を笑わせられるならなお美しいと感じます。子供たちがギャグをしたり、ヘンなまねをして笑わせたり、おしりをだしたり、そんなことは長い人生のほんの一時のこと、大人になっておしりをだしたら・・・(いるけど、友人で・・)それは問題ですが、今はおもいっきり子供たちと笑いころげたいと思います。

 笑いは時により病も克服するものです。怒ってイライラしてるばかりの人生なんて・・・笑いのない人生なんて考えられないでしょ~。ちなみにユーモア(Humor)の語源は、ラテン語のHumores(体液)で、人が生きていくために必要な血液やリンパ液のことなそうです。笑い、ユーモアは人間には無くてはならないものなんです。

 そこで、息子に、「いっしょにひげダンスやろうよ、宴会でぇ~」と誘ったら、「そんなはずかしいことやだよ~」とことわられました。ケッ!!

 

 

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2008年11月25日 (火)

僕の持論は、

 今日も仕事に入る前、あったかいハーブティーを飲みながらレコードに針をおとします。今朝は、レスリー・ダンカンの”MOON BATHING” 僕にとってはヘビーローテーションの一枚でたぶんCD化されてないと思いますが、ジャケットも良し内容も良しの隠れた名盤です。

 これは横浜の友人のDJが「周ちゃんのお店でかけるのが一番合うよ。」と言って当時お安く(といってもけっこうしたなぁ)ゆずってくれたもので、ロウソクの明かりだけの横浜のお店でここぞと言うときにかけた至極の一枚です。どっちかっつうと夜中むけなんですが、いいですこれ。実はさっき朝からかけようと決めていたP・マッカートニーの”BAND ON THE RUN”が行方不明となり、いったいどの棚にはいってるのやら・・そんな時はほ~っておく、そのうち他のをさがしてるうちにでてくるでしょう。

 さがしものって、一生懸命さがしてると出てこないもので、「そのうちでてきてね」と言っておくと出てくるもんですが、はたして・・・どこにいっちゃったのかな~もしかしたら店から持ってきてなかったのかな~横浜の店にはまだ数百枚のレコードを残したままで、こっちに帰ってくるとき大切な1000枚ほどとJBL4312Aのスピーカーだけを持って帰ってきた。

 昨晩9時半に子供たちと布団に入り、ふと横浜での夜を思い出した。20年間住んでいてこんな時間に寝るなんてことは一度もなかったはずだし、9時なんて仕事始まって間もない時間、これから気の合うお客さんたちが集まって夜通し音楽を聞きながらお酒を飲み語り合っていた時間です。その当時、今の生活がこうなるとは夢にも思わなかったが、考えてみれば、どんな楽しい時も心のどこかにちょっと引っかかる苦しいものを常にもっていた。それは、「さぁこれからどうなるこの先どうするっ」という気持ち。

 人間の一生楽しい時間ばかりが続くわけじゃない、おもしろいんだけどちょっとした苦しみも心の片隅にあったほうがちょうど良いかもしれない、おもしろくるしい、「おもっくるしい」のがちょうど良い、というのが僕の持論です。だから多分今があんのよ僕の場合。

  

 今週の予定ですが、28日(金)~30日(日)まで、うちの近くのギャラリー我楽多亭”芳春庵”さんで「うさと展」をおこないます。ご自分で綿花を育て紡いで作品をつくってる千葉もと子ちゃんが企画してます。うさとさんの手織り・草木染めの作品は、スーザン・オズボーンさん、カート&ブルースのステージ衣装でもつかっています。ぜひいらしてくださいね。

 http://www.usaato.com

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2008年11月22日 (土)

明日は明日の~

 末娘のきーちゃんと近くのコンビニまで買い物に出かけた。さっきまで陽射しも暖かく気持ちよかったんだけど、今は風も冷たくキックボードをこぐきーちゃんのほっぺはりんごのようです。「パパさむいね~」橋の上を通ったときふと見るとなんと室根山には雪がかかっている、「パパきれ~だね~」と寒いけど足をとめて二人でしばし山を眺めてしまいました。

 雪もふるけど、空は青いし、日は照るし、雨も降るけどまたやむし、私たちの住む日本は四季のめぐりがあって、それぞれに花が咲いたり散ったりします。これは「宇宙の理法」というもの、もちろんわたしたちの力でやってることじゃあありません。同時にその「理法」によって支えられている森羅万象、これも「法」です。森羅万象とはすべてのものという意味、山があり、川があり、木があり、家があり、あなたがいて~わたしがいるってこと、このすべて。自然界、人間界、動物界、幽界、霊界、神界、そのすべての存在なんでしょうね、そしてそのすべてのものは常にとどまらず移り変わっていきます。「今日は愛してるけど明日愛してるかどうかなんて保証できません!」などということも言われかねませんからね、気をつけましょう、で、おんなじように今日は生きてるけど明日はどうなるかわからない毎日、今日を精一杯生きぬけば明日は明日の風が吹くってことでいいんじゃないでしょうか。

 今日も今日の出会いに感謝です。

 

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2008年11月21日 (金)

老人ホームにて、その2

 老人ホームに入居しながらやたらと世間の動向(どこどこのだれだれがど~したこ~したという類)にくわしいば~ちゃんをマッサージしてると、

 「○丁目(ホーム内)の○○さんの息子さんが亡くなりはったそうだよ~本人には知らされてないそうだ~。」

 もちろんのことだが、老人ホームに入居なさってるお年よりのほとんどが日本の長寿の数を支えてるといって過言でない方たちばかりです。お子さんといってもみな若くて50代から60代を過ぎてる方たちばかり、しかし最近その50代60代でお亡くなりになっている方たちが多いような気がします。はたしてこのまま日本は長寿大国と呼ばれ続けるのか?今のところ元気に長生きしてる方たちは大正、昭和一けたを生き抜いてきた方たちで、粗食、そして身体を懸命に使ってきた方たちであり、生きてきた自然環境ももちろんちがいます。私たちが今おかれてる環境や食事、運動、様々なストレスにまみれた生活をしていて長生きできるのか?もちろん長生きすればいいという問題ではないが、せめて最期まで元気でいたいとは思いますね。

 自分よりも若い方を見送る、自分の子どもを見送ることを”逆縁”といいます。人間とは数々の経験をつみ魂の進化、そして愛を知ることを目的として今生に生をうけるといいます。しかし自分の子どもを見送ること、仮にそこに愛を知る上での学びがあったとしてもこれほど悲しいことはないでしょう、そう考えれば順番に逝けるのであればこれほど幸せなことはないかもしれません。世の中には、子供たちが犠牲となる事件が毎日のように報道されます。ひとつでもそんな事件が減っていくように祈りたいし、他人事でなく身近な子供たちをせめて見守りたいと思います。

 

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老人ホームにて、

 老人ホームへの出張ヒーリングはもう何年になるだろうか、またこうして窓の外の雪を眺めながらじ~ちゃんば~ちゃんたちと世間話をする。

 「ついこのあいだ桜をみたとおもったら~もう雪だね~」

 「うん、でもまたあっというまに窓の外にまた桜がさくよ。このまま元気にまた桜観ようよ。」

 老人ホームに来ていると、残された命、余命ということをつい考えてしまう。決してみなさん元気に入所しているわけでなく、普通に会話ができ、自分で食事をとれる方はわずかであり、元気になって退所していく方がいるわけではない、ってことはここで天寿を全うするわけです。そこでじーちゃんばーちゃんたちの少しでも役に立ち、生涯の1ページの記憶の中に入れていただけるのであればなんと光栄なことかと感じてしまいます。そう思えば雪の降る様、桜の咲く様もまた違う目で見ることが出来る気がします。

 どういうわけか、自分の子どもたちを自宅出産で手に抱き、自分の母の死を見守りながら送り出し、そして今は他人ではあるものの人の生涯に関っていることが多々ある状況の中で、「人生は四季の如く」という松陰の言葉もなんとな~くわかるような気がしてきました。

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2008年11月18日 (火)

牡丹日記

 こんちは~あたしタコ坊主んちの柴犬牡丹です。いよいよいよ冬っぽくなってきたわね~なんでも天気予報では雪がふるかもしれないってことでみんなタイヤの履き替えにおおあらわなんですってね~あたしは履き替え無用、肉球スパイク今年の冬も絶好調だわ・・たぶんね。

 風邪をひかないようにみなさん手洗いうがいをしましょうね~予防接種もしましょうね~と、世間では言われてるみたいですけど、どこに行ってもこれからの季節風邪菌をはじめいろんなウィルスだらけじゃございませんか~(鶴田浩二風)。そんなウィルスだらけの中にいながら感染しない方が奇跡的と言えるかもしれないわね、うちのタコ坊主は子供たちに、「風邪をひくのは正常なんだよ、熱が出るのも、鼻水がでるのも、咳がでるのもみんなの身体が元気に機能してる証拠だよ。問題は風邪をひいてもそれに対抗し回復できる体力をもってるかどうかだよ。」と言ってたわ。そういって年中プールで泳いでるのも最近は年寄りの冷や水じゃないのかしらと思うんですけど、なんせ一番打たれ弱い性格、ちょっと熱が上がったくらいで、「おれ・・もうだめ・・」と弱音はくからね~。寝込まれるとこまるわよ、あたしの散歩だれがつれてってくれんのよ。

 とにかくみなさん、よく食べてよく寝ることよ、今の季節おいしいお米と旬のお野菜、今日も大根山のようにいただいちゃったし、ありがたいわね~いっぱい食べましょ・・・ってあたしはお肉が食べたいのよ!犬だもの、でも新米美味しいわ。

 

 

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2008年11月17日 (月)

昨日のイベント、

 ”きらり☆わいわいっこまつり”というイベントがありまして、うちのクライアントさん、うちのカミさんも実行委員として参加してます。で、昨日そのイベントがありました。おもちゃの病院や歯科医師会による歯の健康相談、昔遊びコーナー、ミニSL機関車など様々な催し物がありました。うちのカミさんは助産師会として僕の友人の助産師さんと、お母さんたちの母乳相談や子育て相談などで大忙しでした。「今年はいつもより人の出が多いな~」と言ってましたが、それもそのはず今年は、”ご当地ヒーローショー”があったからでしょう、出演は、シカイダーマン、もちろん歯医者さんで、大入りに緊張したせいか社会の窓全開で踊ってました。次に六魂戦隊ゲイビマン、もちろん東山町猊鼻渓から、ちょっと前までオジレンジャーといってました。保育園などのお父ちゃんたちが変身してます。最後に6人全員で踊るパラパラに感動しました。そして遠野からマブリッド・キバ、これはお金かかってます。趣味を超えてます。カミさんがうちあわせの時聞いた話だと仮縫いだけで500万だそうです。それに悪者も、進行役のおねーさんもいてさらにシナリオも全部自分でつくるんだとか、モットーは「ヒーローは肌を見せちゃいけない」だそうで、ぬかりありません。観客の子供たちも敵が現れたときは泣き出す子、帰ろうとする子までいて、子供泣かせで、おとおちゃん泣かせ(おね―さんがミニスカなのよ)しかも午後の部まで引っ張るセンス、それは敵が逃げるさいに「ちくしょ~!午後の部までおぼえてろよ!」のせりふ・・これじゃ帰れるわけありません。最後まで会場は大賑わいでした。

 今、どの地域でも産婦人科の不足と安心して出産、子育ての相談をしてくれるところが足りない状況です。そんななか助産師さんたちはネットワークをつくり、”太古より脈々と受け継がれてきた命を健康的に次の世代に繋いでいく”そのために努力し活動しています。ぜひ、悩んでいらっしゃったら相談してみたり、講演会など参加してみてください。これはお父さんたちもぜひ一緒に参加してもらいたいです。

 いのちの神秘と奇跡に感謝する心が拓く未来   そんな未来をつくり子供たちに受け継いでもらいたいです。

 

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2008年11月14日 (金)

小春日和に、

 この数日”小春日和”が続いています。歩いていても「あ~春ってこんな感じだよな~」と錯覚してしまいますが、それはこれから来る長くてさっむい冬を前に、「春ってこんなんだから楽しみにしながら冬を過ごしといてっ」とでも言われてるような気がしますね。

 新聞を読んでいたら、一ノ関・祥雲寺のご住職のコラムがあり平泉周辺の景観の現状と世界遺産登録についてのお祭り騒ぎへの疑問を投げかけていたのを読んで、「まったくその通りだよ。」と感じた。僕もそのことについては以前にブログで書きましたが、登録する意味がほんとうにあるんでしょうか。

 今月はじめ横浜からカミさんの横浜の友人が遊びに来て、平泉にいってみたいというんで久しぶりに行って来ましたが、びっくりしたのは立派な道路が出来ているということ、国道沿いには観光を見こしてできた店舗など、話では数々の大手の店が出店予定しているらしいおもわず世界遺産ってのはユネスコの名を借りた大型観光地化ね、と納得してしまいます。県も世界遺産登録のお祭り騒ぎに大金を注ぎ込むなら、周辺の自然環境、景観などを多自然型にするとか、住民たちも金色堂に参拝して登録祈願するというお祭り騒ぎをするひまがあったら他にすることもあるだろうにね、そもそも現世利益のための参拝をする場所ではないと思うんですけど・・まずは古の方たちに敬意を払い鎮魂をしなければいけない場所です。平泉をはじめこの辺のかつての戦場ではいまだに”彼ら”は戦を続けていて終わることはないみたいです。「あの辺にいくと・・いまだに合戦やってんだよね~」と、かねごん先生もおっしゃっている通り、まずは”あの方”たちを”極楽浄土”に送ってやるとか、鎮まってるお御霊をそっとしといてやるとか、かつての浄土思想の背景には夥しい血と涙が流されそして今に至っていることを知らなければいけないと思います。

 「景観十年、環境百年、風土千年」といわれます。目の前にぶらさげられたにんじんに惑わされずに、「浄土思想」とはなんなのか、「自然との調和」とはどういうことなのか時間をかけて考えてみるべきですね。

 

 

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2008年11月11日 (火)

落ち葉の季節

 車で走っていて最近よく目に付く奇妙な”もの”がある。それは区画整理などされきれいな通りなった街並みの歩道に植えられてつったっている木、枝はみごとに全部切り取られていて「これなに?」と首をかしげたくなるものだ。なんのためにその木は植えられたんでしょ?、もちろんきれいな街並み、緑のある街並みのために植えられたんだろうが、車で走っているとまるで歩道に”ムンクの叫び”が両サイドにいるみたいで妙な街並みに見えます。

 買い物しながら聞いてみると、その木はプラタナスで、春から夏にかけては木陰ができてきれいな街並みだったそうだが、いつのまにかすべて枝が切られたとのこと、秋に落ち葉の掃除がたいへんだからという苦情のせいじゃないかと言っていた。ま~人間は都合のいいことばっかりですね。自分たちの要望で木を植えたはずなのに、めんどくさくなれば切っちまえってことでしょうか。その結果歩道にムンクの叫び、またはでっかいニョロニョロ(ムーミンの)がうじゃうじゃ・・・それともなにか木たちにとってこのほうがいいという住みよい街づくりを称えてる行政のお考えがあってのことなんでしょうか?聞いてみたいもんです。

 春には新緑の爽やかさを、夏には一時の清涼感を、秋には紅葉の美しさで私たちに四季の素晴らしさを教えてくれる木々、秋が終われば葉がすべて落ちます。その落ちる様、川を流れる色とりどりの落ち葉も美しいものです。そして落ち葉は山と川と海の栄養となり、結果私たちの栄養となるものではないでしょうか。その木々の美しさがちょっとでも自分の心の糧となっていたなら・・・落ち葉の掃除もまた違うものとなるんじゃないでしょうか、自然的な愛や善や寛容の表現こそが”霊性”を高めていくものだと思います。

 今日幼稚園では、みんなで落ち葉や枝木をひろいあつめお芋を焼いています。木々や葉っぱがお芋を美味しく焼いてくれて子供たちの糧としてくれるんですね。

 

 

 

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2008年11月10日 (月)

みんなの心にウルトラマン!!

 昨日小学1年生の息子と映画を見に行った。何の映画かというと、”大決戦超ウルトラ8兄弟!”です。息子がずっと観に行きたいっていってました。うれしいですね~僕の教育に間違いはなかったってことだな。もちろん僕たちもウルトラマンで育ったわけで、夢中でした。当時は何も考えずただウルトラマンと怪獣のバトルに熱中してましたが、今、ちょこっと大人になって見直してみると、そこには社会風刺や環境問題、未来に対する警笛がたくさんあり、こんな意味だったんだ~と今になって気付かされます。

 さて今回は最近のウルトラマンと僕たち世代のウルトラマンとが一緒に力をあわせて戦う設定でしたが、最近のCGのおかげで空中戦などは昔想像もつかないもので迫力ありましたね。子供たちはもちろん戦う場面に夢中になってますけど、要所要所での登場人物のセリフは、かなり琴線に触れました。

 「夢はあきらめなければ絶対かなうんだ!」 「最期まであきらめずにがんばって、でももうだめだって思ったとき・・かならずウルトラマンがあらわれる。」 「大切なのは、今自分がするべきことをするということだ」 

 などなど・・”あの時”を忘れてしまった大人たちにとってなんだか胸がキュンとなるような言葉だったな~・・みんなの心の中にウルトラマンがいるんだよな~。どうかんがえてもこの映画お父さん向けだわ。

 そして、ヒーローものの王道ど真ん中横綱相撲をいくウルトラマン、これからも地球を守ってほしいっすね。

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2008年11月 8日 (土)

思い出、

 カミさんがとつぜん「今夜の夕飯、チキンカツ食べたいね~」と言った。チキンカツ、なんてステキなひびきの食べ物でしょう、その言葉を聞いたとたんにあの香ばしいにおいとジリジリと音を立てる揚げたてのころもとジューシーな肉汁が思い出され口の中が唾液でいっぱいになった。

 チキンカツで思い出したのは、横浜に住んでたころのこと、若い時に山下埠頭の中にある貿易会社で働いていたんだけど、毎日が肉体労働でお昼になるともうおなかぺこぺこでした。埠頭周辺にある肉体労働者向けの食堂のなかに、セントラル・グリルというレストラン(肉体労働者向けね)があり、お昼時になるとすぐごっついかたがたで満席になっていた。というのもボリュームがすごいんです。ぼくがそこで大好きだったのがチキンカツ,でっかいわらじみたいなももとささみのフライにスパゲッティが鉄板の上でジリジリ音立ててね、ごはんは大盛りで、とっても美味い!思い出しただけでもよだれが出るわ。お腹いっぱいになったら海をみながらぼけら~っとしてるのがお昼の至福の時間でした。

 考えてみたらそんな20代半ば、今の自分がこんな風になってるとは微塵も考えたことありませんでした。ただ毎日をなんとかこなしていくことで精一杯、でもこれでいいのか今の自分、という不安があったり、なんでこんなことしてんだろ?という憤りがあったりの毎日のなか、絶対忘れなかったのが、”今、これが自分にとって必要な経験なんだ。”という思いでした。結果、身体をこわし、”な~んでこ~なっちゃうんよ~”とさらに落ち込むことになったが、今となっては、あの厳しい仕事で社会を知り、身体をこわしたことで10年後今の仕事につながっちゃったわけです。

   今のあなたはかつてのあなたであり、未来のあなたは今のあなた  ・・ブッダ

 ということですね。

 結局、チキンカツは、ぼくが夜飲み会に行くことになり、後日ということになりました。深いな~チキンカツ。食いて~っわらじみたいなやつ。

 

 

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2008年11月 7日 (金)

その日のために、

 僕にとっての生涯のテーマのひとつは、「生きること、死ぬことってなんだろ?」ということです。生きてる以上死ぬことを考えることは必然なことであり、死についての話が一般的に”縁起が悪い”ということに子どものころからなんだか知らないけどとっても違和感を持ち、信仰心厚いおばあちゃんとは”死”については普通に話していた。

 「死んでも終わりじゃないよね。」この言葉が僕の何かに組み込まれているのは確かで、身近でお亡くなりになった方などの葬儀に行っても、ただ「お疲れ様」という言葉が自然とでてくるだけで、涙が出るのは、その人との思い出だったり、弔辞を読む子供やお孫さんの姿にぐっとくるということで、亡くなった人は精一杯自分の生を生きたんだろうなと感じるし、拳を握り締めて死んでいったのか、両手を開き解き放たれて死んでいったのかはなんとなくその場の雰囲気でわかる気がします。

 人間はだれでも自分の生を一生懸命生きている。そして死ぬ時期が来たら死んでいく。人間は誰でも例外なくみんな生まれた瞬間から死を約束されている存在なわけです。どんなかたちで死んでいくかそれは誰にもわからないけど、”その日”を迎えるときのためにも自分らしく生きましょう、自分が思った通りに精一杯ワクワクするように生きていきたいと思います。

 

 

 

 

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2008年11月 5日 (水)

永遠の巡礼者です。

 これから”死”へと移っていく人、そんな方のところに呼ばれることがよくある。もちろんヒーリングによる治療で延命させようなどとはあまり考えないようにしているし、延命したところでその痛みの苦しみから逃れられるわけでもないのが事実、でもそこに呼ばれるのはただ心の安らぎを望まれてのことだろうかと思う、ヒーリングをしている間患者さんは気持ち良さそうに寝入ってしまうし、顔の表情にも変化が見られる。ヒーリングをしている間想うのは、「御心のままにならしめたまえ・・・」という言葉だけです。

 今も末期で病床にいる患者さんと時々電話で話をしている。「もうそろそろ行きたいんだけど・・・じゅうぶんがんばったよね・・・」 最初のころは「頑張って、生きようよ、きっと良くなるよ。」と声をかけていたが、最近はその方の”決断”がわかるようになった。もちろん本人にしかわからない悩みや葛藤、心配があるのは当然のこと、でも二人で笑いながら「じゃあ、死んだら会いに行くね」 「わかるように合図してね」などと話す。

 死んだらどうなるのか、僕もいまのところ死んだ時の記憶はもちあわせてないし、死んだことないし、過去の記憶ももってないし、よくわからないけど、死後終わりでないのは確か、霊、魂は生きて生きて生き続けるものでしょう。

 ”大切なのは、人間が永遠なる魂であり、地上生活はその永遠の巡礼の旅路のほんの短い、しかし大事な一部なのだという事実を知ることです。”

 だから背筋を真っ直ぐに伸ばし、神様の叡智の光を浴びながら堂々と生きていきましょうね。

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2008年11月 4日 (火)

鮭、移動大作戦!

 鮭が川を上って来る季節です。オラが町にも鮭が上って来るようにと長年頑張ってきてる方たちがいらっしゃって、そのお手伝いをしてきました。北上川へ続く支流となってるオラが町の川、しかし途中に高さ2、3メートルほどの人口の滝がありそこを鮭がのぼることができません、工事してるときに魚道を造ってくれとみんなで懇願したにもかかわらず行政は聞き入れてくれずその結果、鮭だけでなく他の魚も行き来できない状態なんです。なんでも聞いた話「生態系がくずれるから」という理由で却下されたらしいが、そもそも川の流れを変え道路整備のための工事なのに生態系がうんぬんという理由がヘンな話である。

 こんな寒い夜だけど、おじさんおばさんたちは川のそばにテントを張り、鮭が上って仕掛けに入るのを待ちます。仕掛けに入ったら確保、生け簀にいれ翌日上流に放流するということになってます。もちろん許可は取ってあり許可が無いと密漁になります。夜通しテントの中で暖をとり、あったかいコーヒーを飲み、川の音を聞きながら、そして満天の星空をながめながらのこの時間の贅沢なこと・・・時々胴長をはいて川に入り様子をみるが気配なし、でも来てるのは確実とのことで上流の北上川の水門まで行ってみると、なんと、浅瀬に背びれがうようよとうごめいてる!初めての体験にしびれましたね~また月明で見る北上川と360度大パノラマの夜空は絶景でした。

 翌朝6匹を確保、無事上流に放流することができました。子供たちがいつも大好きで食べている鮭ですが、数年かけて厳しい道のりを経て生まれ故郷に帰ってくるぼろぼろの姿に、この日だけは声援を送っていました。

 本来なら人間の手を加えずに自然に上ってくればいいんだけどね、人間の手で汚し、崩しててしまった自然の今の姿、元に戻すのは人間でしかありません。大きな目標は川で子供たちが水遊びできるくらいまできれいな状態に戻すことです。ま~だまだ問題があるんですが、すこしずつ、私たちの次は子供たち、その子供たちと受け継いでいかなきゃいけない大切なことですからね。

 翌日の新聞には、うちの家族が鮭を放流してるところが載ってました~。おれの、坊主にサングラスがこわいとのことです・・。

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