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2009年1月31日 (土)

痛みも色々あります。

 岩手に越してくる前、10年間は自分で”店”を経営してました。”夜の社交場”であったため、寝るのはいつも朝方、睡眠時間もそこそこにすぐ行動してましたが、なにせ毎日好きなレコードを大音量でしかもいい音質で聞きながら、そして気の合うお客さんとのおしゃべりの仕事、ぜんぜん苦にはなりませんでしたが、歳をかさねるにつれてどこか体力よりも精神力の限界を感じるようになっていました。

 で、こっちに越してきてから生活パターンがひっくり返り規則正しい生活をはじめたわけですが、そのころから急に身体に”痛み”という異変があらわれました。突然腰から足に痛みがでて歩くのも大変になった時、腰に爆弾しょってるのでこりゃやばいと思ったが、おそらくこれ治療してくれる先生はこの辺にいないだろうな~・・・そういえば自分が治療師じゃね~かなにやってんだ?と冷静に考えた。で、結論はほっときゃ治るというものでした。しばらく痛みを抱えてそしておんなじように痛みをもってる患者さんの治療しながら毎日を過ごしててましたが、ある日バレーボール大会があり、「腰痛いからむりだよ~」といいながら参加、びっこひきながら練習してましたが、つい「回転れし~ぶ!」なんてことをしてしまいました。どういうわけかその時から痛みはなくなりました。その後には、また突然右肩から腕に痛みとしびれがきました。「またかよ・・・」とつらい思いをしながら数ヶ月、今度はソフトボールの試合、最初はボールを投げるのも精一杯だったが、ついおもわず力投・・その時からまた痛みが無くなった。他にもあるんだけど、どういうことかというと、不規則で自然のリズムにそぐわない生活を数十年してたせいで、身体に不具合が生じてたわけですね、それを身体に痛みを出すことで、自然に調整してたみたいです。好きな仕事をしてストレスも無いなと思ってましたが、実は知らず知らずのうちにそうとうに負担がかかってたということです。おそらくそのまま夜の仕事続けてたら心も身体も今ごろぼろぼろになってたかもしれません。

 痛みといっても一概に悪いものばかりとはかぎりません、痛みを通して身体の中、心の中からの信号を伝えてることもあるし、治っていく過程での痛みもあります。その時はちょっと手を加えること、その流れを誘ってあげることで治癒が進みます。腰や肩、自律神経や内蔵機能の機能障害での痛みがあってもみんな原因は様々であり、その部分に症状が出てるだけで治療は本当の痛みの素に対してのアプローチが必要になります。

 ”身体は健康になりたがっています。健康とは、完全にバランスが取れた状態です。それは自然な状態であり、なんの努力もしていない状態のことです。身体はバランスを崩した時、自然な状態に戻ろうとします。その勢いは人為的に活かすことが可能です。それを治療といいます。”

 しばらくして、今度は左ひざに痛みを感じるようになりました。不思議なことに歩いても走ってもだいじょうぶ、でも重く不快な痛みがありなかなか良くならない、ある時、浄霊の仕事で霊媒師の岩田さんと会っていたので、「僕のひざにだれかいるでしょ?」と尋ねたところ、「ごめんね・・いたかったの?もうしないよ」と、さおりちゃんという女の子の霊でした。霊界の方に「ここにいなさい・・」と言われたそうで、その後いっしょに生活してます。

 こんな仕事してるのでいろいろな経験しますが、痛みの原因、苦しみの原因のなかには、肉体的、精神的の他に霊的要因が少なからずあるのは事実です。

 

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2009年1月28日 (水)

変わらなくちゃね、ほんとに。

 一年でいっちばん寒い時期に今ますが、今朝も早朝から愛犬牡丹様と散歩&スクールゾーンパトロールに出かけた。寒い・・顔が凍るようでぇす・・草木も車上も屋根も霜で白くなっている。でもそこに朝日があたりだすとこれがきらきら輝きだしきれぇですね~さらにお日様の力強さで一瞬のうちにエネルギー充電されました。寒いといっても、冬に突入したての凍てつく寒さとはまた違います。これからちょっとずつ春に近づいてるため何かを呼び覚ます寒さという感じですね。

 どんなに寒くても朝から元気なのは子供たちで、ほっぺを真っ赤にし白い息をはきながらの元気な挨拶に自分の気持ちも穏やかにそして元気にさせてもらっててます。

 私たちにとっての未来の展望は、即子供たちにとっての現実の未来となります。子供たちに起こってる”変化”と世間で言われてることは、私たち大人が起こしてることの反映でしょうし、子供たちは今も昔も子供たちとして何も変わったものではなく、変えたのは他でもないこの社会を創りだしてる私たち大人であるのは間違いありません。子供たちの教育より大人たちの道徳に問題があること、変えなくちゃいけない変わらなくちゃいけないのは私たちの気持ちであり想念そして信念だと思います。これからの10年いや数年は今までの10年とはまったく違ったものになるでしょうし、そのためにも私たちの信念はなんなのかもう一度考え直さなくちゃいけませんね、子供たちのためにそして地球のために。

 アメリカ合衆国オバマ大統領が就任前に、ひとりの父親としてご自身の二人の娘さんにあてた手紙があります。子供を思う気持ちに国境はないというスタンスに感動させられました。   http://obamausp44.blog5.fc2.com/blog-entry-1.html   読んでみてね。

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2009年1月26日 (月)

あれこれ考えず・・観ました。

 アーサー・C・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督の作品、”2001年宇宙の旅”が上映されると知って、昨夜一関市内の映画館に行ってきました。この映画、昔から何回観たことか・・・観るたびに全編クラシック音楽の心地良さによる睡魔に襲われ、もう一度観直し、わけわからなくなりの繰り返しだった。なにせ会話のシーンはほとんど無し、アクションもない、あるのは宇宙空間での無音、そして印象的なのが宇宙服内のひたすら呼吸の音、夕べは大画面で観ればもすこしなんかわかるかな~と思い観てみたが、ただ「あれこれ考えず座して体感せよ」ということがわかったかな・・・。また原作読んで(といっても原作は映画より後で出たので、映画と小説はまた別物と考えなくちゃいけない)気が向いたらDVD借りて観てみよっと。

 昨日の企画は一ノ関の”シネマ・クラブ”さんたちが主宰したものなそうで、年に数回昔の映画なんかを上映なさってるみたいで、昨夜もあの映画館にいままで見たことないくらい人が入ってました。が、ほとんどが年配のおばさまたちで、きっとノスタルジックな映画を期待してきたんだろうなぁ・・次回は幸福の黄色いハンカチやるらしいし・・だいじょうぶかなぁこんな映画観ににきちゃってぇと心配したが、案の定スクリーンの中は宇宙空間の無音状態、そして全編クラシック音楽の心地良さ、客席から聞こえる寝息と大いびき、後半になると突然おばはんたちは立ち上がり、「も~わけわかんない!」と言いながらお帰りになりました。

 ちなみに当時この映画造るとき、キューブリック監督は手塚治虫に美術監督をお願いしたそうです。忙しくて無理だったらしいけど、もしやってたらどんな風になってたんだろ。それにしても手塚治虫の”火の鳥 宇宙編”もこの映画になんとなく重なる部分があるなぁ・・もう一回読んでみよう。

 シネマ・クラブさん、またすごい映画お願いします。希望としては・・・映画館の大画面でチャールトン・へストン主演の”ベン・ハ―”観たいです。

 

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2009年1月21日 (水)

身体が正直になった丑年。

 今年は丑年である。丑年といえば牛、牛といえばやっぱり焼き肉っですね。僕はモ~ッ大好き!なんぼでも食える。カミさんと二人で焼肉屋行ったときなんてお勘定聞くのがこわいくらいよく食べました。しかし・・30過ぎたあたりからちょこっと体質もお変わりになったのか、若い頃は、夜中だろうが元気出ないなら焼き肉食べて元気になろうって感じだったのが、元気ないときに食べたらよけい調子が悪くなったり(そりゃそうなんだけど)、さらに40を過ぎ最近では、あんまり食べたくなくなってしまった。こんなもんでいいかなくらいの量しか食べれなくなってしまった。しかし頭ではまだ食べれるという若い頃のイメージがあり、でも身体はあんまり受け付けない現実がありとひしめき合ってる状態の真っ只中にある。先日もすき焼きたっくさん食べようと思いお肉屋さんに行ったらそのにおいにやられ少なく買ってしまった。実際にはちょうど良い量でした。

 というように・・・・身体が最近正直になってきてますね、とりあえず規則正しい生活を続けてると必要なものと必要でないものがはっきりわかれて来た感じがします。カミさんに「今夜なに食べたい?」と聞かれ毎回「やっこ~」と答えてしまう自分がなんだか悲しくもあり・・・でもほんとうはこれでいいのだぁと納得してしまう今日この頃です。

 が、しかし近所のスーパーこんきんさんの豚肉だけははずせない!これなしにうちのご飯は成り立ちません、ほんとに美味いです。

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2009年1月20日 (火)

今朝、神前で・・・

 この地球という天体に生命が誕生して以来、何億万年という歳月を経て今日の人類へと進化したわけです。それが今の私たちというわけですが、これをただの偶然と思ってはもったいないっておもいませんか?しかも野蛮で未開の時代は過ぎ、とりあえず人として成すべきことが、ある意味示されている時代に生を受けてるわけです。

 人は誰しも尊い仏神の心を持ってこの世に生を受けてくると言われます。それが良心の根源と言われるものなのでしょう。でもその心に目覚めず己の良心にさえも背く考えをもっているのでは果たして人間としての価値があるんでしょうか。そんなこと言ってる自分も数年前若い頃には話としてわかってはいても雲や霞を掴むように漠然とした問題でただ毎日を貪ってるような生活でした。

 そんな時、人の人生って・・命って・・と考えさせられる事件が母の病、白血病でした。その1年7ヶ月の母と病との生活は僕の人生を180度変えるもので、さらに末っ子の誕生とが重なり命の尊さ命の繋がりをまざまざと見せられるものでした。

 どんなに世界が繁栄し科学が進歩しようとも、それが人の命を奪うものであったり、自分の欲のためだけに使われ悪事を行い大切な仏神を忘れるのであればかえって文明に逆行してしまうでしょうし、動物本能をほしいままに貪り尽くせば大切な人生を無茶苦茶にしてしまうんじゃないでしょうか。

 この時代に生を受けた理由があるはずです。この困難な時代にこそ本当の生きる理由、自分も生き、他人とも一緒に生き、困難を乗り越えていかなければいけないと思います。では何が必要か?思いやる心、助け合う心、慈しむ心、それらは”愛”から生まれる心だと思います。

 今日は母がさなぎから蝶へとなり旅立った5年目の日です。あの世から今生をどのように見てるんでしょうかね、神々はこの世界の現状をどうみてるのか。

 そんなことを今朝神前で考えました。

 

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2009年1月16日 (金)

牡丹日記

 こんにちは~あたしタコ坊主んちの柴犬牡丹です。にしてもさっぶいわね~寒冷地仕様のあたしとしてもちょっとこたえた数日だわね、うちのママちゃん生まれも育ちも横浜、浜っこなんだけど、4回目の岩手の冬やっぱり寒冷地仕様のからだには進化しなかったわね、んでも寒さから身を守るためのお肉はたんまりついたんだけどね~不思議だわ。

 昨日から小学校も始まり、あたしの毎朝の日課の通学路パトロールもはりきってやってるわよ、元気なみんなのあいさつにタコもあたしもパワーいっぱいもらってるわ、あたしもみんなにエール送ってるのわかるかしら?えっ?ワンとしか聞こえない?「みんなヒーローになれよっ!」って言ってるのよ。だってこんな未来も予想がつかない夢も希望もないような世の中、そんななか地球を救えるのは子供たちみんなが内に秘めてる無限のパワーなのよ、それが大人になっちゃうと損とか得とかで考えちゃうからね、そんなんじゃなく正しいことか正しくないことか、みんなの為になるかどうか、そう、みんながもってる神様の目と力で判断してほしいわね。

    「神は我生命に内在する唯一の力である」  

 これを理解することがとっても重要なことなのよ~わかったかタコ坊主!

 

 

 

 

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2009年1月13日 (火)

双方向の力

 多かれ少なかれ人は、他人に関心を持ってもらうこと、誰かに見守ってもらう、誰かが側にいてくれる、誰かが話し掛けてくれる、他人が何かをしてくれる、など受動的に支えられ見守られ生きることができるんだと感じることが大切と思うようで、とくに若い世代にこういった考えがあるみたいです。でも他人に関心をもってもらうことで自分を支えるというベースはもちろんあるにして、一方で他人に関心を持つことで自分自身を支えるというのもあるわけです。

 ていうのは、老人ホームへの出張で常々思うんだけど、ほとんどのじーちゃんばーちゃんは痴呆も進んでおり、他人への関心なんてほとんどないわけです。でもその中で数人は手足は不自由だけど頭はしっかりしてて、少ない人数で精一杯働いている介護士さんのお手伝いで、夜寝る前にたくさんの洗い終えたタオルを不自由な手を使って一枚一枚時間をかけてたたんでるわけです。僕がマッサージに伺うと「いんや~つかれだや~・・んでもおらだぢがてづだってやんね~どな~介護士さんだぢたいへんだがらな~」とおっしゃる。そこには自分が誰かの手伝いをすることで、誰かの役に立つことで自分自身を支えてるということ、他人に関心を持ってもらうことことでは自分を支えきれなくて、むしろ人は自分以外の人に関心を持つことで生きるエネルギーを得てるんじゃないでしょうか。

 若い人だけでなく「自分のことなんて人はわかっちゃくれない・・・」などと思う人はもう一度よく考えてほしいですね。

 僕もホームへ行き元気を与えに行ってるつもりが元気をもらってきています。そして「癒してほしい」 「痛みを緩和してほしい」と訪れる患者さんから多くを学び、そして死を迎えようとしてる方を励ますはずが、逆に生きることを励まされていました。

 与えることと受けること、この双方向の力が大切なわけですね。

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2009年1月 9日 (金)

想像力から創造力に

 子供たちが冬休みなので、朝の愛犬牡丹の散歩は3年生の娘と1年生の息子とで出かけている。7時から1時間くらいかけて朝の田園風景をてくてくと歩く、最初は「さむいよ~」と言ってるが、だんだんからだがあったかくなるにつれて途中走り出したり、牡丹のリードを外し一緒に走り回っています。今年も今のところ雪が少なく、年末にちょっとそりが出来たくらいで今度はいつ降るのかみんな楽しみに待っています。歩きながら、「ここそりで滑ったらおもしろそうだね~」 「はやくふんないかな~」 なんて話にいつもなるが、それにしてもこの辺の子供たちはそり遊びしてんだろうか?先月降ったときもそんな形跡が見当たらない、車で走っていても畑の土手などこりゃいいコースだと思う場所に子供の姿が見当たらないのがとても不思議だ・・いったいみんな雪の日なにして遊んでんだろう・・まさかおうちに籠もっちゃってんだろうか?僕らが小学校の時は、そりにミニスキー、雪合戦、学校帰りはランドセルをそりにして土手を滑り降り、教科書がえらいことになりよく怒られたもんです。

 今はゲームがあるからな~外で遊んでると思いきや公園に集まってみんなでゲーム(DS)してたりね、なにして遊んだらいいかわかんなくなっちゃったんだろうかな~想像力が無くなってきたんじゃないだろうか。

 遊びはなんで大切なのか、それはあらゆる創造活動の源になってるからです。勉強にはともすればきまった答えがあり型にはまってしまうことがあるけど、遊びにはいろんな新しい要素がはいってくる。野球ひとつするにも、場所が狭かったり、人数が足りなかったり、そんなときはルールを変えながらやらなきゃいけない。また道具が足りないときもなにか工夫が必要になってきます。子供たちの遊びを見ていると、それなりにみんな工夫しながら想像力を働かせて遊びを考え出しているのに気づかされます。想像力こそが創造力を生み出してゆくものだと思います。

 今朝、急な坂道で氷に足を滑らせみごとにひっくり返ってしまった。空を仰ぐってのはこのことかってくらい、でも気持ちよく転んだ。「み、みんな気を付けてね・・・」と言うや否や、息子は腹ばいで氷の坂道をすべり降りてきた・・・・。創造力は洗濯物も増やす。

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2009年1月 6日 (火)

地球のステージ

 先月、隣町の小学校の先生方(うちによく来る皆様方っす)の企画で”地球のステージ ありがとうの物語”の映画会を拝見させていただきました。桑山先生というパワフルなお医者さんが世界中を飛び回り医療活動や病院の建設に取り組んでいて戦争によって心を閉ざした子供達との交流やふれあいを現地での映像をたんたんとでも生々しく映画にしたものです。地雷のまだある地域、そして戦場、医者がいないところに自分たちが行って医療活動をするということをなさっている桑山先生にとても頭が下がる思いで見させて頂きました。

 現在、世界中あらゆるところで戦争、紛争が絶えません。そこには相手憎しの気持ちだけでなく、そこに利益を見出すことが出来るものがあるから戦争をする、仕掛けるということが実情です。そして昨年暮れから始まったイスラエルとパレスチナとの戦争、戦争というよりイスラエルの一方的な侵攻、攻撃はまさに虐殺といえるものようです。

 かつて、ナチスのホロコースト、60万人大虐殺で歴史の辛酸を舐めたはずのユダヤ人国家イスラエルが半世紀以上たった現在 「イスラム教ジェノサイド」の首謀者となるなんて・・・歴史はなにを人間に学ばせようとしているのかまったくわかりません。

 そしてこの桑山先生、ガザに入るそうです。これは自殺行為ではないかと思わずにはいられませんが、これが生きる道、証なのでしょう。

 私たちは、何が出来るでしょう・・・せめて子供たちの心に憎しみという根を植え付けないように・・・人間の心に怒りと苦しみがこれ以上おきないように・・・何が出来るのでしょうね。

 とにかく・・・・今は人道援助のために現地に向っている方がたのための安全を祈るのみです。

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2009年1月 5日 (月)

ひとりドライブに、

 いや~それにしても、子供たちのいない・・もちろんカミさんもいないこの数日間は、つぅっまんねぇ~なぁ~といつもながら思ってしまいます。「いいねぇ~独身」などとは言われながら、昨日は独りドライブに宮守方面へ行きました。

 目的は、丹内山神社への参拝です。あまり知られてはいませんが、全国からここに参拝へたくさんの人が訪れているところで、僕もこっちに越してきた時、県内どこがパワーのあふれてる場所かを調べたときに見つけた場所です。作家の高橋克彦さんの作品の中で多く取り上げられていて、昔から気になっていましたが、実際調べてみると他の場所とは別格の聖地といえる様なところと感じます。そういえば高橋克彦さんも、”降りてきた何か”に小説を書かされたらしいです。

 そこに祀られているのは、巨石であり荒吐神(アラハバキ)。お社もあるのだが、社が出来たのが1200年前そんなものができるはるか昔からそこに鎮座し天からの御柱がおりてきているのだと思います(ほんとに光がおりてんのよこれが、)。天と直結してるわけです。この東和町も不思議な場所だなぁと感じてはいたが、古代そんな場所を神官である物部氏が見つけたのであれば不思議は無いですね。荒吐神いまだに正体不明の神様ですが、東北の古代から信仰されており、安倍一族にとっても大事な信仰対象であったようです。そして安倍貞任の言う荒吐神の要旨、”生は死に通じ 死は生に通じる”ということです。

 参拝が終わった後は東和町の温泉でのんびり入浴して帰りました。

 

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2009年1月 3日 (土)

もとの根に、

 新年明けましておめでとうございます。穏やかなお天気に恵まれたお正月となりました。

 みなさんどんなお正月をおすごしでしょうか?うちは毎年お正月にはカミさんと子供たちが横浜の実家に行ってしまうので愛犬牡丹となんとも質素でふつ~の日々を過ごしております。といっても2日からありがたいことに仕事がはいってましたので休みは元日のみで今日はのんびり”BEACH BOYS”のレコード聞きながらポチポチとブログを書いてます。

 今年はどんな一年にしようかと考えながら、「もと」「元」「素」「基」「本」「下」「原」「許」「故」という言葉をキーワードにしてみんべ~と思いました。

 これは老子の詩 

   目に見えない大いなる流れを受け入れる。 心を空にして受け入れる。

   この虚の心があってこそ見えてくるのは、何か。

   万物は、生まれ、育ち、活動するが、やがて、「もと」の根に還ってゆく

   それが見えてくるのだ。

   その行く先は、静けさ。 その静けさこそ自然の本性。

   水の行く先は・・・海。  草木の行く先は・・・大地。

   いずれも静かなところだ。 すべてのものはその根に還る。

   自分の本性の行く先に戻る ということは、静けさに還ること。

   それを知ることが知恵であり、知らずに騒ぐことが悩みや苦しみを生む。

   いずれはあの静けさに還るとなれば、心だって広くなるじゃないか。

   心が広くなれば、悠々とした態度になるじゃないか。

   そうなれば、時には 空を仰いで、天と話をする気になるじゃないか。

   その時には、自分の身の上でくよくよするなんて 

   ちょっと馬鹿らしく感じるよ。

                        老子 タオ   加島祥造(訳)

   というわけで 「もと」の根を感じる一年にしたいと思います。

 

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