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2011年2月23日 (水)

通じる行為、

 僕の亡くなったおばあちゃんとの会話を思い出した。

 おばあちゃんの実家はかなり大きな麻問屋だったそうで、番頭さんから使用人の方々もいたそうである。で、よく行商に向かって帰ってきた番頭さんたちが、「いや~きづねにばがされだわ~」と言っていたそうである。昔は反物かついで徒歩で行っていたそうなので山の中でよくばかされたんだそうで、どんなばかされかたしたのか、きれいなおなごにそそのかされたのか、馬糞を饅頭と言われ食わされたのかわからないが、ほんとにあったらしい。

 そんなことほんとにあんの?現代じゃ~さすがにないだろ・・・?ばかされてるとは言わないが、まぁあるよね、狐憑き、狸やら蛇憑き、人霊憑き、天狗に仙人風・・だいたいがおんなじ様な症例で、憑かれた人はそこそこのお力をいただいてます。目先のことを予言予知したり、手から金粉出してみたり、人を信じさせ集めとうぜんお金がからんでくる、そんな教祖さんのような力、たまたまもらったのではなく自ら欲しいと強く思い願い”それら下級霊”と感応することで手を組む、よく神の声が聞こえそれから力を授かったなどというのはその類ですね、信じるも信じないも勝手、「鰯の頭も信心から」それで自分が救われたなどと思うのならそれでいいんじゃないでしょうか、ただ注意しなきゃいけないのはそこにはかならず代償がつきものということだけ、自分本位の願いはかなうが家族が不幸ではしょうがないですね。

 本来人は神と通じる神殿である、自分自身が神の御分霊をいただいているのだからそこを信じればいい、耳元に囁く神の声はない、自分の心に聞けばいい、何処からともなく感じてくるものを尊ぶ、そして問いただす行為が神に通じるもの、直感こそが神の声だと思います。

 だまされて帰ってきた番頭さんたち、いつも毎晩のように囲炉裏で火を囲み酒を飲みキセルで何かを一服、歌を歌い楽しそうだった・・と言ってました。昔はゆるかったんですよ。

                

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