祈り
今日、震災でお亡くなりになられた方々にとって四十九日の日となる。本来であれば遺族にとっても亡くなられ霊となったかたにとっても ”ひとくぎり” というところだが、今回はあまりにそれが重く感じられる。
この数週間僕はとうてい役には立たないことわかってはいるが亡くなられた方たちのことを考え線香をあげ祈っていた。遺されたご遺族の気持ち、死生の狭間で泣く御霊たち、今どんな状況でいるのか思えば想うほど苦しい気持ちでいっぱいになり毎晩涙があふれてくる。私たちがしなければならないことそれは多くの犠牲の方々の思いを礎に精一杯生きること、そして多くの生死を目の当たりにして、生きること死ぬことの意義を今回の震災から降ろされたメッセージをもう一度こころに問いただすことだと思う。自らに問いただす行為こそが神に通じる道である。
「神が愛であるならば、人の生涯のこの死の瞬間が、その人の最良の瞬間であることを知っている。たとえこの人が長く生きようと短くしか生きなかろうと、それに応じて神が永遠の生命の与え方を加減するわけではない。また死ぬ人たちも、現世よりもなを悪い罰を永遠にわたって受けるわけがない。私は神を信じます。」
「神も仏もあったものか・・・・」と、多くの人が感じたはずである。神仏を呪いもするだろう。まったくそう思う。
それでも僕は永遠に神を愛したいと思います。そしてひとりでも多くの御霊が神の国へと召されますようにこれからも祈り続け、そしてその道筋へといざなうために赴きたいと思います。
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