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2011年11月16日 (水)

この道、

 私たち一人一人がそれぞれの”道”を歩んでいるよね、その道のりは決して平坦で楽ちんな道ではないけど苦しいだけの道でもない、そこには人それぞれのお役目があって、それに目覚めるためのほんの数十年の道、誰もが通らなければならない道がある。大きな悩み、小さな悩み、取り越し苦労もたくさん、情熱に燃え、落胆し、試練をくぐりぬけ、悟って、でまた情熱に、落胆に・・・なんてそんな繰り返しの毎日でしょうね、でもそれもこれも大切なものに気付き内在する神性に目覚める大きなきっかけなんだと思います。

 

 空を観れば星々が一分一厘のくるいもなく運行されてることを考えれば私たちの道のなかに偶然の一致もめぐり合わせも無いような気がしませんか?

 

 今一度そばにいる人が、愛する人がどれだけ自分にとって大切なのか、なぜ数億人の中からのこの人なのか考えてみませんか、私たちがこの”道”を通って気づかなければいけないことって愛すること愛されることの大切さをこの肉体をもって体験することだと思います。

 

 ”たとえ予言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山をも動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛が無ければ無にひとしい。”

 

 信じて、この道を行きましょう。

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コメント

このみちのさきには、大きな森があろうよ。
ひとりぼっちの榎よ、このみちをゆこうよ。
このみちのさきには、大きな海があろうよ。
蓮池のかえるよ、このみちをゆこうよ。
このみちのさきには、大きな都があろうよ。
さびしそうな案山子よ、このみちを行こうよ。
このみちのさきには、なにかなにかあろうよ、
みんなでみんなで行こうよ、このみちをゆこうよ。
金子みすゞ「このみち」…一緒に歩くのも、その先に有るのも愛ですね。

投稿: 幸 | 2011年11月16日 (水) 20時00分

 いくつになっても学ぶことっていいですよね、

 ”この道のさきにはなにかなにかあろうよ。”

だから何があっても歩き続けるんですよね。

投稿: 幸さんへ、 | 2011年11月22日 (火) 11時54分

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