« 2017年4月 | トップページ | 2017年6月 »

2017年5月26日 (金)

天 人 地・・とは、

 道教の教えによると、宇宙は、”天 人 地”にわかれる。

人心穏やかであれば天と地は恵みを施し、しかし、人が荒廃すると天と地は災いをもたらす。

 

 ここで言う恵みとは天候やそれによる農作物などの恵みと解釈しますが、霊的存在としての我々はどこから霊的恵み・・エネルギーをいただくのか、私たちの身体には数か所ほどそのエネルギーを受け取りそしてそれぞれの肉体と霊体に合うように変換する装置があると考えます。それこそ、天からのエネルギーを受け取る器官、地からのエネルギーを受け取る器官、それらを神経経路を通し肉体内外へと循環させていきます。我々の心が穏やかでいつでも受け取る準備が備わっていればこそその恵みを感知し受け取ることができますが、そうでなければやはり様々な不調を来すこととなり、それこそ災い・・そんな現象が起きることでしょう。

 常に、どのような心持、心の在り方でいなくてはならないか、意識が大切です・・意識の転換が先決です。

| | コメント (0)

2017年5月22日 (月)

自然な力、

 今のところ健康に問題なしの50歳なのだが、やはり血圧が高いのは変わらず。看護師のカミさんに治療レベルなんだから病院で診てもらいなさいと言われ数週間前にしぶしぶ受診、その際一昨年に調べた検査結果を持参し診てもらったが、「う~ん・・リスキーなことは何もないよね、しいて言えば、奥さんのことが心配なんじゃない?」と、知り合いのお医者さん・・彼も奥さんを突然亡くしてます。

 薬は出されたのだが、飲み続けるのはお断り・・飲んでません。時々血圧を測るが高いまま、でも剣道の稽古に支障はないし、毎朝の散歩は自分の健康に対し大きな恩恵をもたらせてくれていることは間違いのない事実です。多少の不安がないわけではないが、ラーメンのスープは飲み干さないように気をつけてます。

 自分が健康であるかどうか、それは人から言われて判断するものではなく、また健康法も人それぞれに当てはまるものが違いますよね、健康とは心と身体そして精神その三すくみのバランスのとれた自然の状態、身体はそのバランスが崩れたときには自然な状態に戻そうとするものです。その勢いを人為的に活かすことができます。それがヒーリングによる治療です。

 ”治療は外部から施されます。でも、治癒は内部から起こります。治癒の原動力は、生きものとしての我々本然の力そのものから生じます。”

| | コメント (0)

2017年5月15日 (月)

ある祈り・・

 祈りについて・・・

 真の祈りにそれなりの効用があるのは事実だと思います。でも、どんな精神的行為にも、身をもって果たさなければならないこの世での苦労や責務の代用となるはずはありません。

 祈りは自分に課せられた・・背負わされた義務を避けたいと思う避難場所ではなく、人として為すべき仕事の代用ともならないし責任を逃れるための手段ではないでしょう、どんな祈りでもそんな力はないし、絶対的な因果的連鎖をかえることはできません。

 では、祈りなど必要はないのか? いえ、必要です。ただ、祈りは人のためという動機、事故の責任と義務を自覚したときに湧き出る想いが大切です。それら以外の祈りのすべてを無視し、ただ一心に祈るのみです。

 

| | コメント (0)

2017年5月10日 (水)

勝手な思い・・

 川の水量が足りない・・そういえばもう何日もまとまった雨が降っていない。連休には雨が降ってほしくないな、と誰もが思って祈っていたはず。気づけば庭の草木も田畑も散歩先の里山も生気を失ったような気配が続いています。田んぼにも水がまだ入ってないところもあり大好きな水鏡もまだ観れていない。今度は雨が降ってほしい・・と勝手な思いでいる自分たち。

 ここらで降ってほしいものですが、降り方が問題・・長くじっくりと降ってくれればいいのだが、そんな降り方がもう何年もないような気がしますね、いっきに降って終わってしまう降り方ばかりです。そして地域によってはそれが大きな災害へとつながっています。

 自然が牙をむく・・なんて人間中心の言い方をするがそんなことはない、自然は自然のまま気の赴くままもちろん人さまのことなど気にしない、自然の法則のままの行動をとるものです。ただ、少しづつ・・少しづつ・・決して急がず事を成し遂げるのでしょうね。

 自分の目でしっかりと見て、自然の音に耳をそばだてて、空気のにおいに敏感になり、そして心で想うことが大切です。おいいしいものをいただくのももちろん大事ね。

| | コメント (0)

2017年5月 8日 (月)

五百羅漢

ゴールデンウィークでしたが、もちろんどこかに行楽へとか旅行なんてのは子供たちが部活をやってる以上ありません、遠方での練成会があれば運転手です。今回は遠野で練成会があったので、合間を見てちょっとだけ観光、五百羅漢を観てきました。この苔むした岩石ひとつひとつに羅漢様が掘ってあります。飢饉で亡くなった人々の霊を弔うため、どれだけの時間をかけたのか、どれだけの念を込めたのでしょう、弔いも執念と化しているかもしれませんね。

 何か一つを成し遂げるためには相応の時間がかかります。同じことの繰り返しをすることでひとつの形ができる・・頭で理解していてもそれを体現するためには数千数万回同じことを繰り返ししなければならないと言います。先日稽古で先生に稽古をつけてもらったとき、「今日の打突タメがあっていいね」と言われました・・10年やって初めて言われました・・・どんなことでも同じです。鍛錬を積むしかありません。10年なのか20年なのかもっとかかるのか、それでも続けなければ答えは出ませんね。

 すべて”自分自身が仕事”となるためです。

| | コメント (0)

« 2017年4月 | トップページ | 2017年6月 »