息子と、サイレンの音と共にテレビの前で黙祷・・そして暑くなる前にお墓の掃除に行く。
僕の祖父はシベリア抑留中に亡くなっている。もちろんご遺体は帰っては来ていない、抑留から帰ってきた戦友の方が小指だけを持ってきてくれたという。その方の話では・・と言っても直接聞いたわけではなく祖母から聞いた話、戦争が終わったことを知らされた祖父、そのまま戻ればよかったものの奥地にいる大勢の人たちに知らせに行ったところ捕虜となったそうだ。祖父の性格上自分だけ戻ることはできなかった。さて、孫である自分はもしその場合どうするであろうかといつも考える。震災の時亡くなった消防団などの若い人たちがそうだった。みんなに知らせるために助けに戻って津波にのまれた。自分ならどうするであろう・・・。
今、亡き祖母の後を受けついで日本遺族会、地元での遺族会の事務局長をしている。亡き祖母はずっと会長として尽力してきたが、みなさん高齢化が進みご遺族の平均年齢も80を超える。孫の代のまだ若い自分が後を受け継いでいかなければならない、と言っていずれ戦争での直接遺族が年々減少するなか、自分は何をするべきか・・と考える。昨年は8月15日に日本武道館での戦没者慰霊祭へ県代表として参加、慰霊し続けなければならないとあらためて思った。靖国神社へ参拝するたびに思うのだが、若い人たちが多くびっくりする。この神社だけは祀られている”神”がもちろん違う、おそらくだれ一人として現世利益など願いには来ていない、若い人たちの参拝するときの真剣なまなざしとその姿勢のちがいに感動しそして安心を覚える。
この時期いろいろ考える。世の中の一部ではあいもかわらず自分が自分がと叫んでる中で、この国の礎となった太古からの人たちの思いとはどんなものか、その時自分ならどうするだろう、考えるにふさわしい時期だ。
ちなみに・・いろんな方に、周ちゃんいそがしいよね~と言われるが、幼稚園の理事、振興会等の会長等3件、寺の総代、神社の総代、遺族会の事務局長2件・・そう、ゆりかごから墓場まで、いやあの世まで、携わってますね。
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