ヒーラーとしての心構えとして、
治療家、ヒーラーとして自ら決めた道、仕事、その歩む道は決して楽なことではないはず。容易に得られた力、技だとしたら仕事に耐えることは難しいと思います。
魂の最奥、最高の可能性まで動員させられる深刻な体験に耐えるだけの"霊性"を試されてはじめて許される。そうして身につけたものこそ本物であり、それこそ霊の武器となるはずです。
これからもその覚悟こそが試される。もしもヒーリングの技を得たいと考えているなら、そのことを念頭においていただきたいと思います。
治療家、ヒーラーとして自ら決めた道、仕事、その歩む道は決して楽なことではないはず。容易に得られた力、技だとしたら仕事に耐えることは難しいと思います。
魂の最奥、最高の可能性まで動員させられる深刻な体験に耐えるだけの"霊性"を試されてはじめて許される。そうして身につけたものこそ本物であり、それこそ霊の武器となるはずです。
これからもその覚悟こそが試される。もしもヒーリングの技を得たいと考えているなら、そのことを念頭においていただきたいと思います。
"伊庄さんは現実社会に生きるヒーラーさんですね" とクライアントさんに言われたことがある。どうしてもヒーリング、ヒーラー、と言う言葉には目に見えない世界やふんわりゆらゆらしたイメージ、ニューエイジやら宗教的な…というイメージがつきまとう、だからこそ本来のヒーリングとは何なのかということをつきつめたい。
Healとは癒しだけではなく治すという意味がある。クライアントさんに対し、ただ、大丈夫ですよ、神に宗教に心を傾けなさい…では何の効果も与えることはできない。ヒーラーにとって大切なことは、実生活での体験、貢献、信用、信頼、忍耐…人生からいかに多くを学ぶかということ…らしいが、要はその中でいかに自分と向き合い相手と向き合い自分自身をコントロールするかにより必要な治療エネルギーが徐々に培われる。とても難しいですね、まだまだです。
今、自分に与えられたことが大切な課題であり、やり遂げなきゃいけないこと、宿題は徐々に難しさを増しています。
朝、愛犬たっちゃんと歩いていると、すれ違った車が直後バックで戻ってきた。
今日夕方空いてますか?と、症状がこーであーでとひとしきり喋ったあと、ふぅ…とため息をつく、半分くらいは楽になったと思う。
20年前、帰郷してヒーリングをやると決めた時、その当時は地方ではまだまだヒーリングは認知されてはおらず、仙台でさえまだまだ無理だよ、と言われたことを思いだす。でも師匠は、だからこそやるべき、東北でいちばんのヒーラーになれ、と言って送りだしてくれた。どんな仕事であろうと、やる気になればその地に深く広く根を下ろす覚悟が必要だ。20年を要したがまだまだ足りない。ただ、何もないところにいちから始める楽しさを知った。
種を蒔き芽をだし根を張りいずれ大輪の花を咲かせる…たったひとりではできないこと。そこにはたくさんの心と魂の栄養が必要になる。
小春日和の良い天気のなか、今朝も愛犬たっちゃんと散歩、だいたい月平均にして4.8キロ同じコースを歩くこと16年、1年を通して歩くとその時々の景色や空気感の違いを微妙に感じる。そして挨拶を交わす人々も自分も含めて変わっていく、それなりに歳はとっていくのよね。
さて、今日の午後は16年前に生まれたであろう地元高校1年生の前で講演をしなければならない。先月は小学校で2回と、夏は小中学の先生方の前でも講演をしたが、お題は治療家としてではなく地元の地域振興について。
ヒーラーなんていう仕事をしているが、しっかりと現実社会に根付いたことをしてたりするししなければならない。そこをおろそかにして目に見えない世界を語ることはやはりおかしいと感じますね。大切なのはヒーラーとしての"信用と信頼の行"を常におこなうということです。
日中はまだ暖かいものの、もう晩秋、午後からはストーブを点けて暖をとる。
もう11月これから転がるように年末へ向かっていく。今年1年を振り返る気にはまだならないが、身近なところでも、また世の中でもたくさんの別れがあった。義父が亡くなったのもそう、そしてプロレス好きとしてはアントニオ猪木が亡くなったのはさみしい限り、子供の頃の熱狂が思い出される、昭和がいよいよ遠くなり終わっていくことを感じる。
そんな晩秋の夜、YouTubeでアントニオ猪木の闘魂ビンタ特集を観ながら涙してしまってます。ビンタされて感謝してエネルギーをもらっちゃう。そんな人これから先間違いなくあらわれないだろうな…なんでビンタされてるの観て感動するんだろ…。
あ〜僕もしてほしかったな。
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