色
その人それぞれに生きている色がある。と言っても何色とかいう色としての表現はできないが…生きてきた色が感じられる。
そしてそれはその方の表現として形にあらわれるものもあったりする。"あぁ、だからそうなんだ"なんて後から気づいたりして納得したり。
人それぞれの生き方、正しいとかそうでないとか、第三者がとやかくうるさいご時世、つまらない色に染まってるな〜と感じざるおえない。どうせなら甘美な色でもいいんじゃないの。
その人それぞれに生きている色がある。と言っても何色とかいう色としての表現はできないが…生きてきた色が感じられる。
そしてそれはその方の表現として形にあらわれるものもあったりする。"あぁ、だからそうなんだ"なんて後から気づいたりして納得したり。
人それぞれの生き方、正しいとかそうでないとか、第三者がとやかくうるさいご時世、つまらない色に染まってるな〜と感じざるおえない。どうせなら甘美な色でもいいんじゃないの。
いちばん寒い時期が来た。
今までが暖かく楽すぎたというのもあるが、今夜から明日がとくに寒いらしくマイナス10℃だとさ。今週は要注意、近所の一人暮らしのばあちゃんたちにも注意喚起してある。とにかくここを乗り切ってね、と。
そんないちばん寒いときに隣町では奇祭がある。それは水かけ祭り。年男を中心に数百人が町をかけぬける…さらしに短パンで…冷たい水がこれでもかとぶっかけられて、冷たいのかどうかも麻痺してしまうほど、寒ければ寒いほど男衆の身体から湯気が立ち上り壮観だという。
僕も数年前に一度だけ参加した。いい歳で独身だったいとこがはやく嫁をもらえるようにとの願掛けでいとこたちみんなで走った。おばさんの"わたしはおばあちゃんって言われずに死んでしまうのね〜"という切実な声を聞いたら、やるしかないなと。で、願掛けは功をなしていとこは翌年に結婚が決まりかわいい娘もできて、おばさんもほっとしたろう…。
しかし、その弟、妹もまだ未婚なまま、どうしたことかと、また走るしかないのかと考えていたが今年も中止だと、これ以上は年寄りのなんとかになってしまうので考えものだ。
走りきった後は、世話人の方々の家の前を流れる川に入れとの号令、興奮状態のまま川に腰まで浸かり数人で円陣を組むと橋の上からまた氷のような水が町の人たちによってぶっかけられる。あーこのまま死んでもおかしくないなって気持ちになりかけたところで終了。もうやりたくない!と思うが、しばらくするとあの極限状態がなつかしくやりたくなるから人間ってバカだなと思う。
訃報が届く
横浜で暮らした時、お互いいい時もそうでない時もなんだかんだいっしょにいた友人。
体調が悪いとは聞いていた。"しゅうちゃん僕の命はあと数年だよ" なんて笑いながら話していたが、死んだみたいだ…詳細がよくわからない…と共通の友人からのメール。また別の友人に連絡をとり聞いた。孤独死…だった。
昨日から寝ても覚めても仕事していても彼のことばかり考えている。こんなことあるのか?独りではなかったはず…何があった?知っていたようで何も知らなかった。
幸せってなんだ?僕が幸せなときを暮らしているとき彼は幸せだったのか?彼が死を感じながら苦しんでるときその同じ時間僕は何をしていた?…とりとめのない考えだらけになる。
どうにもしようがないな。しばらくは彼を思い続けるか。
ただ単純な毎日を繰り返す。とくに追い求めることもしない。朝起きて散歩して、珈琲を淹れてレコードを聴きながらその日の客を待つ。
喜びはなんだろう…と常々考えるが、どうやら仕事をすること、それにより良くなっていく姿、火が灯された笑顔を見ることが何よりの喜びのようだ。
ただ単純な毎日を繰り返している…15年もの間何が変わったのかよくわからないがたぶん変わっているのだろうと思う。
たぶんこの先も変わらず単純な日々をすごすのだろうと思った今日の午後でした。
今までにないほどの穏やかな天候での年末と新年を迎えた。かと思えば今までにないほどの大雪にみまわれている地域、国もある。最近では温暖化…と言わず気候変動って言葉に置き換わってるみたい。
なんとも色々バランスがよくないが、それでも微妙なバランスをとりつつ世の中は回っているようで…良くも悪くもいずれどうにかなる。
果たして今年は、どんな"今までに経験したことのない"を体験できるのか楽しみではあるができたらみんな心穏やかでいたいですね。
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