« 鍛錬を、 | トップページ | 背景にあるもの、 »

2024年3月11日 (月)

13年目の3.11

 13年目の3.11。

 私の家から気仙沼まで30分、陸前高田までは50分だ。あの時あの瞬間に現地にたまたまいた地元の友人たちがいた。本人たち曰くとにかく帰らなくちゃと思い車を走らせたという。津波までの時間は30分、陸前高田から帰ってきた友人はどこをどう帰ってきたかもよく覚えてないが、海岸沿いを走らせていた時になんとなく変な海だなと思って見ていたのがあとになって津波だったことを知った…と言っていた。あと数分行動が遅れていたら…とにかく2人の友人は無事帰ってきた。その生死をわけた衝動と行動とはなんだったのか、今でもよく考えている。

 陸前高田にいるおじとおばは、いつもの避難訓練程度と思いゆっくりと裏山の公園へと歩いていった直後、もうすでに足元に津波が押し寄せてきたと言っていた。あと数秒遅かったらどうなっていたか、通りを数百メートル隔てた人たちは避難場所の体育館へ…そして。この生死の境とはいったい何だったのか、13年間いつもいつも考えている。

 津波の3日後から陸前高田に行きおじとおばたちを探し歩いた。幸い2人とも無事だったが親類夫婦は亡くなり見つかったものの大おばだけは未だ現れない。生死の境とは生死の間とはいったいどんなことなんだろうどんな力が働いてるんだろう神の采配とはいったい何なんだろうと考え続けている。


|

« 鍛錬を、 | トップページ | 背景にあるもの、 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 鍛錬を、 | トップページ | 背景にあるもの、 »